中和から北和へ気まぐれ乗り継ぎ




[7]新家行き



 2003年8月17日の旅日記です。

 この日の行程は、

八木駅1100(特急・新宮駅行き)1124曽大根1143(7系統・新家行き)1156近鉄高田駅1208(10系統・法隆寺駅行き)1246法隆寺駅1245(72系統・法隆寺門前行き)1253法隆寺門前…徒歩…法隆寺前1313(97系統・春日大社本殿行き)1338近鉄郡山駅1345(38系統・若草台行き)1401若草台1410(50系統・富雄駅行き)1426富雄駅1433(近鉄・7451列車・準急・西大寺行き)1436学園前駅(南)1507(160系統・高畑町行き)1523史跡文化センター1540ごろ(19系統・臨時・新大宮駅北口行き)1547ごろ 新大宮駅北口…徒歩…大宮町五丁目1631(83系統・天理駅行き)1706天理駅1735(62系統・桜井駅北口行き)1804桜井駅北口

でした。


 ○雨の国道24号線を行く

 8月17日、日曜日になった。今日は、高田法隆寺線の10系統・法隆寺駅行きに乗る 予定だ。そこから先のことは考えていない。

 最初、近鉄高田駅838発に乗るつもりだったが、おきてみたら8時過ぎ。仕方ないの で時間を調べなおし、1208発の便に決めた。

 とりあえず桜井から近鉄で八木まで移動。八木駅のバス乗り場に着いたのは1030 だった。ちょうど湯盛温泉杉の湯行きのRHが出発するところだった。

 1100発の新宮駅行き特急があることがわかり、迷わずそれに乗ることに決める。高 田市駅あたりまで行って、そこから近鉄高田駅までバスで移動することにしよう。

 1057発の岩森行きが出たあとすぐ後ろで待機していた、十津川仕様のHUがのりばに 入った。乗り込んだのは僕を含めて4名とさびしい。この日はあいにくの雨。日曜日 で雨ということで八木駅周辺が混雑するかと思ったが、交通量は少ない。車が増える としたら午後からだろうか。

 八木駅のロータリーを信号1回待ちで脱出し、バスは、24号線を和歌山方向に走り 始めた。十津川特急が八木駅−五條バスセンター間各停になり、整理券番号が100番 を越えたという話は聞いていたが、実際運賃表を見てみると、そのコマの多さに驚 く。140番て・・・

十津川特急の運賃表示機
◆十津川経由新宮駅行き特急の運賃表示機 140番まで枠がある

 あと、運転席後ろの席に座っていていろいろ観察していると、方向幕一覧表に目が とまった。161系統や60・70系統だけではなく、新家行きの7系統とか、奈良文化女子 短大なんかも入っているようだ。実際そのような運用に入るのかはわからないが、そ のようなコマまで用意されているのは、意外だった。

 四条のややこしい交差点を右折し、バスは順調に走る。五井で、ゴルフバッグを 持った男性一人下車。

 雨がやまないまま、高田市駅停車。女性一人乗車。昼食のことを考えてなかったこ とに気づいたのと、もう少し乗ってみたかったのもあって、高田バイパスとの交差点 の先にある曽大根まで乗車した。近くのマクドで昼食を調達。曽大根から近鉄高田方 面行きのバスを待つ。

 1145ごろに新家行きの後期型MRに乗車。のってみたら僕一人。そのあと、途中で2 人乗せ、10分あまりで近鉄高田駅に到着した。雨はやや小降りになっていた。


○10系統・法隆寺駅行き

 マクドで買ったチーズバーガーをバス乗り場のベンチであわただしく食べおえる と、12時過ぎに後期型MRがやってきた。方向幕を変えて、[10]法隆寺駅の表示を出す と、後ろの扉が開いた。

 乗り込んだのは僕一人。結局定刻まで他の乗客は現れず、いつの間にか現れた乗り 場の案内係のホイッスルの合図でドアが閉まって発車。

 近鉄大阪線のガードをくぐり、神楽交差点を左折。少しだけ165号線を走り、築山 で右折。広陵方面に向かって北上を始める。交通量は少ない。

 大塚あたりから道幅が狭くなる。センターラインが引いてあるものの、電柱がはみ 出てたりするから、バスはセンターラインをはみ出して時折来る対向車を避けながら ゆっくり走る。

 新家をすぎると、道がよくなり広い2車線道路になる。ここからは10系統の独壇場 である。

 道がいいところを走るのは少しの区間だけで、竹取公園を過ぎて、次の信号を出る と佐味田の集落によるために、左に分岐する細いわき道を降りていく。

 現在の高田法隆寺線、近鉄高田駅-法隆寺駅間にバスが運行され始めたのは、1960年(昭和35年)3月22日のことだった。それ以前には、近鉄高田駅-赤部間にバスが運行されており、1959年(昭和34年)にこの路線を池部駅まで延長、池部線となり、この池部線をさらに延長することにより、現在の高田法隆寺線のバスが誕生したらしい。<※1>

 ということは、高田法隆寺線は、運行を開始して、今年で43年目ということになる。この路線は意外と歴史があるのだ。当時の運行ルートは未調査だが、運行開始当初のルートが、ほぼそのまま継承されているのだとすれば、わざわざ広い県道を通らず、昔からある集落を縫うように走っている理由も説明がつくような気がする。

 佐味田の集落に入る。奈良の道は、旧街道にアスファルトを敷いただけのような狭 隘路がおおいと思う。バスに乗り歩くとそれが特によくわかる。ここも例外ではな く、大型トラックが通らないような道に、公共交通の役割を果たすため、小型ではあ るがバスががんばって走る。

佐味田停留所
◆少ない乗客でも毎日走り続けてきた (佐味田 2003年9月27日撮影)

 しかし、せっかく家の多いところを走っていても、1日3便では乗りたいときに乗れ ないわけで・・・ここでも乗客はなし。

 バスは、再び広い県道に戻る。山の坊を過ぎて、少し坂を上がると、河合町役場や 公民館などがあり、坂のてっぺんが池部駅。

 道が広いのはここまで。近鉄田原本線の踏切を渡るとここからまた狭隘路になる。 しかも家があって見通しの悪いカーブがあるからたちが悪い。運転者は、カーブミ ラーで対向車を確認しながら慎重にバスを進める。以前は、ここをいすゞBAなどの大 型短尺車が走っていたらしい。走れないことはないのだろうが、相当難儀しただろ う。

池部駅付近
◆穴闇-池部駅間の隘路を行く (穴闇-池部駅間 2003年9月27日撮影)

 穴闇(なぐら)で、やっと乗車があった。おばあさんとお孫さんのようだった。こう いう人たちのためにも、ぜひバス路線は残してほしいものだ。すぐ東側には、広い県 道が通っているのだが、バスはあえて住宅の多い旧街道を走る。

 西穴闇を出て、次の信号で県道と交差し、また狭隘路へ。その次の信号を左折する と城古。城古からは結崎線も走るが、結崎線も本数は少ない。河合市場を出て、西名 阪をくぐり、大和川を渡る。そして、笠目を出て最後の難関を突破、バスは、終点の 法隆寺駅に到着した。結局降りた乗客は、自分を含めて3名だった。この路線の先行 きが心配される。休止もうわさされているが、路線存続のための、いい方法はないのだろうか。<※2>

<※1:参考文献:奈良交通のあゆみ(発足50周年記念) 奈良交通>
<※2:高田法隆寺線の新家-城古間は2003年9月30日限りで休止となった>

続きを読む

バス旅日記メニューに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送