ワイド3・3・SUNで奈交のりあるき(その2)


 2月19日の旅日記です。この日の行程は、

八木駅913(特急・新宮駅行き)1015五條バスセンター1018(162系統・忍海行き)1053忍海・・・北花内1120(70系統・近鉄高田駅行き)1123曽大根1223(70系統・近鉄高田駅行き)1235近鉄高田駅1245(近鉄・急行)1304榛原1400(27系統・曾爾村役場前行き)1458曾爾村役場前(曽爾役場前)1609(<三重交通>名張駅前行き)1653名張駅前1705(<三重交通>上野産業会館行き)1740上野産業会館

でした。

○十津川くまの特急で出発

 ワイド3・3・SUNでの奈交のりあるき2日目。今日も気の向くまま、とりあえず八木駅までいってみる。

 9時を過ぎて、ちょうど十津川仕様のHUが乗り場にやってきた。十津川方面、新宮駅行きの特急バスになるようだ。とりあえず特急バスに乗ってみようか。

 乗客3名で発車。昨年あたりから、161系統の八木駅発がなくなった代わりに、五條バスセンターまで各停に変わっている。  平日の9時過ぎで、通勤の時間帯は過ぎており、24号線は結構すいている。大和高田バイパスが四条まで開通したのも影響しているかもしれない。高田市駅は乗降なし。24号線はこの先も気持ちよく流れている。近鉄御所駅で60歳代ぐらいの男性ハイカーが6名ほど乗車。風の森で降りていった。  五條バスセンターに到着。するとのりばに[164]忍海の表示を出したハコMR75号車が停車しているではないか!これは逃したらいかんと特急バスを降り、すぐ75号車に乗り込んだ。

○ハコMRとの再会

 ハコMR75号車を使用した、五條バスセンター10:18発の[164]忍海行きは、僕が乗り込むとすぐ発車した。

いま十津川特急で走ってきた道を逆戻りする。75号車は、本来吉野所属なのだが、葛城所属のハコMRが故障しているため、ピンチヒッターで、予備車となっている75号車が葛城に貸し出されているのだ。そのためバンパーに貼られたステッカーは吉野営業所所属を示す四角い黄色のままだ。<※2>

 しかしこの車に乗るのも久しぶりである。昨年、休止前に乗った[11]八木駅発桜井駅行きに充当されていたバスがハコMRだったので、ここ1年ぐらい乗ってなかったことになる。その1年の間にこの型のバスも急激に数が減った。もう奈良交通から姿を消すのも時間の問題だろう。住川から風の森付近にかけての峠の坂を行くときは、かなりけたたましい力強いエンジン音になる。峠を超えたさきの坂を下る時のエンジンブレーキ+排気ブレーキの音もまたいい。それをしっかりこの耳で聞き、貴重なこの時間をしっかり記憶にとどめるようにつとめた。

   それにしても、乗ってくる人、みんな当たり前のように乗ってくる。僕にとっては本当に貴重で珍しい乗り物なのだが、一般の人の目には普通のマイクロバスという風にしか映らない。それぐらいハコMRは本当に人々の生活に溶け込んでいたのだ。  10:45、ハコMRは終点忍海に到着。僕一人を下ろすと、MRは目の前にある葛城営業所へと引き上げていった。僕はその後姿をしっかり見送った。この75号車には、3月7日、再び吉野で出会うことになる。 (乗車オフ会の模様はこちらからどうぞ→〜軌跡・なごり雪とともに〜(もとさんのページへジャンプ))

○奥宇陀を行く

 天気がよかったので、少し歩く。朝に比べてお昼前になると24号線も交通量が増えた。やや車の流れが悪い。北花内まで歩き、[70]近鉄高田駅行きのHUをつかまえる。初期のタイプのようで、エンジン音がRCに近いのがまたいい。RCが走っていたころを懐かしみつつ、曽大根で下車。東室交差点のそばにある「ボンズ」で昼食とした。

 さて、午後からどうしようかと考えた結果、とりあえず榛原から曽爾方面を目指すことに決めた。近鉄高田駅までバスで移動し、近鉄で榛原に向かう。

 榛原到着。なぜかやたら中学生が多い。どうも大阪私学の入試帰りのようだ。1400発の[27]曾爾村役場前行きに乗車する。10名ほどの乗客で発車。近鉄のガードをくぐる前の交差点で右折して、国道369号線にはいる。

 国道369号はかなり改良されており、非常に走りやすくなっている。バスのほうは、途中国道からわきの旧道にそれて、内牧の集落の中を走る。半数ほどの乗客はこのあたりで降りていく。内牧東口で国道に戻り、集落の外れの上内牧からしばらく上り坂が続く。つぎは峠を超えた弁財天まで停留所がない。バスは、峠に新しく掘られたトンネルは通らず、トンネルの上を通る旧道で峠を越えた。

 峠で境界を越え室生村となり、トンネルから出てきた国道に合流。辰尾橋は室生寺方面から上がってくる県道との交差点で、道路地図に交差点名が記され、実際交差点にも「辰尾橋」の標識があるのだが信号なし。しかも周辺に何もなく、廃屋がぽつんとあるだけの寂しい所だ。もちろん乗降なし。

 ここから道端は少し狭くなり、再び上り坂となる。今度は、曽爾村との境にある栂坂峠を越えることになる。さっきの上内牧からの上りよりも勾配はきつく、LTはかなりしんどそうだ。ようやく頂上にたどり着き、曽爾村に入る。下り坂となり、しばらく走ると集落に入り、山粕西口通過。名張からここまで三重交通バスが乗り入れている。

 掛では、御杖村営バスの三菱ローザBEが接続待ちしており、ほとんどの乗客が降りてしまい、村営バスに乗り換えて行った。かつては奈良交通が御杖村の神末上村まで乗り入れていたのだが、不採算路線のため、数年前に奈良交通は御杖村から路線を撤退。それ以降、御杖村営バスが村民の足を守っている。ちなみに村営バスの運行には奈良交通は一切関与していないらしい。

 掛から国道と分かれて県道に入る。ようやく村の中心部らしき所に入ってきて、曾爾長野で2人ほど残った乗客が下車してしまい、僕一人になる。このあたりも結構な狭隘路で、バスと普通車の対向でも気を使う。榛原から約1時間で終点の曾爾村役場前に到着。この先は、三重交通で名張に抜けようと思っているのだが、次の名張駅前行きのバスは、16:10。1時間ほど時間があるので、周辺をぶらぶら。と言っても、曽爾高原は歩いて1時間ではすまないし、これといって見るものもなくとりあえず、曽爾高原の山々が望めるところまで歩き、デジカメで写真を撮っておく。

 やっと発車時刻が迫ってきて、曽爾村役場前に戻る。ほぼ定刻にやってきた名張駅前行きはいすゞLVで、大型のフルサイズだ。いすゞLVとわかったのは乗ってからのことで、外観は富士重工のボディを架装しているので、どこのメーカーなのかさっぱりわからなかった。こんなのを外観で見分けられる人はすごいと思う。

 幼稚園の送迎バスをかねているらしく、車内には幼稚園児が2,3人乗っていた。各バス停につくと、親が迎えに来ており、園児は親に迎えられて家へかえって行く。

 太良路まででその幼稚園児たちもいなくなり、乗客は自分だけとなる。名張市に入り、道路は急に悪くなり、いままで片側一車線確保されていたのが、急にセンターラインのない狭い道に変わった。普通なら、大型短尺か中型を走らせるところだろうが、こうやって大型のフルサイズのバスを走らせるのは、名張の住宅地と共通の運用のためなのか。

○接続がなく名阪断念

 しばらく香落渓と呼ばれる渓谷を走る。このあたりでは紅葉の名所として有名だ。寄り添う川は青蓮寺川である。20分ほど走ると、青蓮寺湖に出た。青蓮寺ダムによってせき止められてできたダム湖で、周辺ではキャンプやぶどう狩りなどが楽しめるらしい。

 県道が一部工事中で通行止めになっており、春日丘という住宅地を迂回する。ここも名張駅から路線バスが運行されているが、曽爾から来たバスは、迂回路上の停留所は客扱いせず通過するようだ。

 乗降はまったくなく、バスは僕一人を乗せて終点名張駅前に到着。待合室では顔なじみらしい高校生の少女と三重交通の係員が談笑しておりなんだかほのぼのしている。

 よし、上野市から天理へ抜けようと思い、続けて、上野産業会館前ゆきに乗車。通称名張街道と呼ばれる国道368号線を行く路線バスで、車の流れが全体的に速いせいか、このバスもその流れに乗って結構飛ばしていく。やや運転が荒いとも言うのかもしれないが・・・。

 大内インターをこえて、道幅の狭い上野市内を走り、30分ほどで終点の上野産業会館に到着した。

 さてバスの時刻は・・・と停留所の時刻表を確認するが・・・残念、ちょうど10分ほど前に17:30発の[16][特急]天理駅行きが出発したあとだった。

 そういうわけで、天理へ名阪経由で抜けるのは断念。上野市駅から近鉄上野線に乗車し、伊賀神戸乗換えで桜井へ帰宅したのだった。



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