桜井地区のローカルバス
(その2・桜井初瀬線・多武峯線)




 2004年2月20日の旅日記です。

多武峯付近の旧道
◆多武峯付近の旧道。以前はここをバスが走っていた。(不動滝付近)




○桜井初瀬線[51]与喜浦発桜井駅南口行き

 桜井のローカルバスをたずねる小さな旅。

 いつもは、起点の駅のほうから乗車するのだが、今回はあえて、反対に駅へ向かうバスに乗車してみた。平日の午前で、人の流れは駅のほうへ向かうほうが多いだろうと思ったのだ。

与喜浦転回場
◆与喜浦に到着したLT


 1010発の与喜浦(よきうら)発桜井駅南口行きに乗るべく、近鉄で、長谷寺(はせでら)駅まで乗車し徒歩で与喜浦停留所に向かう。国道165号線を歩き、10分ほどで、与喜浦のバス転回場に到着。10:05ごろに桜井駅からからっぽのLT1079号車が到着した。このバスが折り返し桜井駅南口ゆきとなった。どこからかおばあさんが一人現れた。

与喜浦で発車を待つ
◆与喜浦停留所で発車を待つ


 折り返しの準備ができて、入口扉が開き、おばあさんと僕の2名が乗車。10:10になって、LTは定刻に与喜浦を発車。国道165号線を走り始める。

 次の長谷寺駅でおばさん2名乗車。長谷寺駅停留所は、国道上にあるのだが、駅は、急な坂を歩いて5分ほど上がったところにある。普通の人が歩いて5分ほどなのだが、上り坂だし年寄りにはきついだろう。

 観光客用の駐車場を見ながら初瀬(はせ)観光センター前通過。桜井東中学校前で、女性が一人乗車。次の出雲(いずも)でもお年寄り3名乗車と、着実に乗客が増えていく。ただし、どこのローカルバスに乗ってもそうだが、やはりお年寄りが多い。今日は金曜日だから、駆け込みで病院へ行く人が多いのかも。朝倉(あさくら)小学校前・脇本(わきもと)と続けて2名づつ乗車。

 慈恩寺(じおんじ)で、降車ベルを鳴らさずに降りようとしたおばあさんが運転者とひともめ。おばあさんいわく、押してもならなかったとか言ってたが、どうなってるのかな?

 近鉄大阪線のガードをくぐり、宇陀が辻(うだがつじ)東口通過。宇陀が辻交差点で左から国道166号線が合流し、外山(とび)で菟田野町(うたのちょう)から来た[70]桜井駅南口行きのHU251号車に追いつく。

 薬師町(やくしちょう)で、1人下車。前のHUの降車扱いを待って停車中、なぜかこちらのほうにおばあさんが一人乗車。

 商店街の入り口となる、御幸田町(みゆきだちょう)で一人下車すると、次はもう終点の桜井駅だ。国道から路上駐車の多い駅前の通りに入り、10:30すぎに終点、桜井駅南口に到着した。僕を入れて降りたのは10名だった。 もっと閑散としていると予想していたのだが、時間帯が良かったのか、意外と乗車があった。桜井駅を発車する便を見ていると、いつも閑散としていたので、日や便によって波があると思われる。

○幼いころの思い出をのせて・・・(多武峯線[14]桜井駅南口発談山神社行き)

桜井駅で発車を待つ談山神社行き
◆談山神社行きのLT(桜井駅南口)


 続けて、10:45発の多武峯(とうのみね)線・談山神社(だんざんじんじゃ)行きに乗車することにする。多武峯線は、幼少のころから学生時代までずっとお世話になっており、特別な思い入れがある。談山神社は、神社側の公式な呼び名は「たんざんじんじゃ」なのだが、奈良交通は「だんざんじんじゃ」と呼んでいる。記憶をたどりながら、久しぶりに談山神社行きに乗ってみよう。

 車両はまたLTで、今度は151号車だった。僕を入れて8名の乗車で発車。御幸田町まで先ほどの道をたどり、次の信号で右折して県道に入り、吉野方面に進路をかえる。

   神之森町(かみのもりちょう)は、桜井市立図書館の最寄。ここには以前移転前の桜井南小学校があり、停留所も「桜井南小学校前」を名乗っていた。ちなみに、次の河西能登町(かわにしのとちょう)が、現在の桜井南小学校の前で、さらに小学校が来る前には、ここに桜井中学校があり、以前の停留所名は「桜井中学校前」であった。現在の桜井中学校も移転して、現在は浅古(あさご)停留所から東へ1kmほど離れたところにある。体育館は、旧桜井中学校時代の建物をそのまま小学校が使用している。

 移転前の桜井南小学校・桜井中学校は、昭和30年代に立てられた木造校舎で、今から思えば、非常に趣のある建物であったと思う。自分が中学校に通っていたころはそんなことはほとんど思わなかったが、いざ木造校舎がなくなるとなると、やはり寂しさを感じずにいられなかった。

 浅古で地元の用務客1名乗車。ここから、多武峯に向けて上り坂をあがり始める。十一面観音がある聖林寺前(しょうりんじまえ)で、地元客3名下車。

 赤鳥居を出るとセンターラインはなくなり、道幅はやや狭くなる。ややきつい勾配の坂も出てくる。倉橋池口は、倉橋ため池への入り口であり、昔は、磯城郡多武峰村の役場所在地だった。役場の建物はそのまま奈良県農協多武峰支店が引き継いで使用している。

 以前はここに多武峰小学校もあり、停留所は「多武峯小学校前」であった。自分もここの卒業生である。やはり旧桜井中学校と同じく、昭和30年代に建てられた木造校舎であった。少子化・過疎化で、児童数は減り続け、1988(昭和63)年3月をもって廃校、桜井南小学校に統合となっている。多武峰小学校に通っていた児童は全員バス通学となり、これに対応するべくそれまで大型短尺(いすゞBUの例外もあったが)しか定期運用がなかった多武峰線に、当時八木奈良線や橿原ニュータウン線で主に運用されていた大型の日野RCが入ってくるようになった。

 倉橋池口から不動滝までは自由乗降区間となり、さらに山村の雰囲気が出てくる。降車指定地の北音羽(きたおとわ)あたりから、横を寺川が寄り沿うようになる。地形はだんだん谷状になり、川に沿って走る県道は谷の底に近い位置になる。クランクに近い形状の橋を渡り、進行方向右手に流れていた川が左に移ると下居(おりい)。一人下車。

 谷の斜面にポツリポツリと建つ家と田畑を見ながら、バスはさらに勾配のきつい坂を上っていく。降車指定地の百市下(もものいちしも)は、杉の木に囲まれた山の中で、周囲に民家はない。少し下ったところに古い倉庫と何年も放置された廃車があるのみだ。

多武峰谷を行く
◆多武峰の山中を行く(百市付近)


 百市の集落を出ると、2車線になり道がよくなる。不動滝(ふどうたき)は、八井内集落の入口で、県道が改良される前は、狭い集落内をバスが通っていた。不動滝からは、さらに針道と言う所へ続く細い道が分岐する。小学校のころ、針道の友達のうちへ行くときは、バスに乗って行き、ここで降りて山中の道を10分から20分ほど歩いたものだ。

 バスはきれいになった県道を走り、多武峯に到着。観光客が一人下車。ここにはバスのきっぷ販売所の表示をした商店がある。今でもきっぷは売っているのだろうか。昔はここの商店のばあさんが、きっぷの入ったかばんをぶら下げて談山神社からバスに乗り込み、乗客に軟券の乗車券(回数券みたいな薄い紙のやつ)を売り、多武峯で下車していたこともあった。おそらく奈良交通からきっぷの販売を委託されていたのだろう。

多武峯の売店
◆多武峯にある古い待合所兼売店


 多武峯停留所の周りも雰囲気が変わり、大宇陀方面に通じる県道の建設中で、トンネルがぽっかり口をあけていたり、吉野方面へ抜ける県道が拡幅工事中で、それに伴って家が立ち退いていたりと、風景は変わっている。

 バスは、多武峯の三叉路を右折し、県道多武峰見瀬線をあがっていく。次が終点の談山神社だが、高度を稼ぐために、ヘアピンカーブが連続しており、バスはゆっくりゆっくり慎重に登っていく。

杉並木の中を行く
◆杉並木の中を走る(多武峯付近)


 観光客用の駐車場が現れると、終点の談山神社に到着である。バスは、売店のある駐車場に入ると、バックをして駐車場の端にある停留所にとまった。降りたのは、桜井駅から乗った観光客1人と浅古から乗った地元の用務客が1人、それに自分の3名だった。

 秋の紅葉のころになると信じられないくらい観光客が増え、臨時バスも大増発されるのだが、オフシーズンだと本当の山間部のローカルバスと何も変わらない。小夫線と抱える問題は同じである。乗ってくるお客は年寄りと定期を持った学生が主である。

談山神社停留所
◆談山神社停留所。駐車場の一角にある。


 多武峯線が橿原営業所の管轄だったときは、朝6時から夜21時まで、朝夕のラッシュ時は毎時2本、昼間でも1時間1本を確保し、しかも入出庫をかねた八木駅直通便まで存在した(まあ、八木駅まで直通する乗客はほとんど居なかったが・・・)。現在は、最終が20時、昼間はバスがない時間帯も存在するようになってしまった。ローカルバスが次々と切り捨てられる中、まだバスが走ってくれているだけありがたいと思わないといけないのかもしれない。

 しかし、3月以降、桜井市内ローカル3線はどうなるのだろうか?今のところ、市民に対して、桜井市からも奈良交通からも何のアナウンスもない。



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