高取への道は絶たれて…(高田高取線を行く)




一町停留所


 かねてから、この路線は気にはなっていた。なってはいたが、休日運休とあってはなかなか乗れず、延び延びになっていた。3月末で廃止となった観音寺線と組み合わせて乗ろうかとも思っていたが、観音寺線に乗りに行ったのは休日で、高田高取線は運休しており、乗れなかったのだ。

 そして、やっと乗る機会がやってきた。

 8月16日、15時過ぎ、近鉄高田駅前に立った。この時間は駅前に発着するバスは少なく、バスロータリーは閑散としている。

近鉄高田駅バスのりば
◆近鉄高田駅バスのりば


 10分ごろ、70系統五條バスセンター行き(27分発)の日野RUが入線して客待中。そのあと、20分ごろに、忍海からローザ55号車が到着し、乗客を降ろしたあと、そのまま、一町行きとなった。

 乗車したのは、おばさん1名と私だけ。エヌシーのローザに乗ったのは2回目だが、運転席横は、運賃箱・運賃表示機・カードリーダー放送機器などが目いっぱい詰め込まれており、客席から前方の景色を見ようとしても、視界がさえぎられ、あまりよろしくない。

ローザの車内
◆ローザの車内 運転席横はさまざまな機器が詰め込まれている


 乗り場の係員の方のホイッスルの合図でドアがしまり、ローザ55号車は乗り場を離れた。

 高砂町・天神橋と県道を南下し、片塩ロータリーで左折し、少しだけ24号線を橿原方向に走る。サティの前の片塩町・和歌山線の高架を越えて今里を通過し、次の信号を右折して、いよいよエヌシーお得意の細い道へ。

 しかし、細いといっても、まだ、普通車となら余裕で対向出来る道路で、身軽なローザは、難なく対向車をかわす。片塩中学校から、右手に南大阪線が寄り添う。しかしそれも少しだけで、すぐ離れ、バスは葛城川にかかる小さい橋を渡り突き当りを右折する。一応主要道のようで、突き当りには青い看板で、右方向が、高取・御所と案内してある。

 余裕で走ってきたのはここまで、右折すると最初の難関が待っていた。すぐ左カーブがあるのだが、バスはその手前で停止。運転者はカーブミラーを見て様子を伺う。対向車が3台ほどカーブから現れた。対向車がなくなったのを見計らって発車。そのカーブの先は、両側に住宅が建ち、バスが来ると対向できない幅となっていた。田井停留所はその区間の中にあった。

 狭い道はさらに続く。浮孔駅では時間調整したのだが、狭いので、道路沿いのアパートの前の駐車場に少し入る形で停車した。

 浮孔駅の踏切が開くころを見計らって発車。対向車は慣れているのか、みんなうまくよけてくれる。ありがたいことだ。

 高田バイパスをくぐると、その先は西坊城あたりまで一方通行となった。しかも、北行きの一方通行なので、逆行である。道路の入り口には、進入禁止の標識の下に、しっかり「路線バスを除く」と補助標識があり、バスだけは逆行が許可されているのだ。

 一方通行規制となっているだけあって、道幅はさらに狭くなる。両側には家が軒を連ねる。ふたのない溝もある。それでも、対向車はうまくよけてくれるので、バスはスムーズに走っている。よく軒に引っ掛けたり、溝にはまったりしないものだ。

 西坊城から少しだけ道は広くなった。天満農協でおばさんが降りて、乗客は私一人になってしまった。それでもバスは、走り続ける。

 少し広くなったと思ったら、「つぎは、根成柿でございます。」のアナウンスとともに天満農協を出てすぐ左折、狭い路地のようなところに入る。おいおい、マジでこんなとこ通るのかよ。幅は、バス1台でいっぱいいっぱいだと思う。大型車だと絶対無理。根成柿を過ぎると、試験場のクランクに近いような、左カーブが・・・。ローザはそのカーブもそろりそろりとすり抜けた。さらに、その先の突き当りを右折しようとしたら、角にステップワゴンが路駐してるし・・・。これはさすがにあかんやろ、と思ったが、それでも、見た目すきま20cm(もなかったかも)で、ゆっくりすり抜けた。おそらくMRだとだめだっただろう。ローザの身軽さと、運転者の運転技術に感心したひと時だった。

 でも、これだけがんばって運行してても、乗客が少ないと、本当にもったいない。運転者もこれだけ苦労して狭いところを走らせてもやりがいがないだろう。なんかかわいそうになった。

 古作で、難関を脱出。サンクスのある交差点を左折し、東へ進路を変える。ここから西常門までは、今年の3月末まで、観音寺線のバスが走っていた。

 萩の本を出て、信号待ちをしていると、運転者の方が私のほうを振り向いて、

「終点まで行かれますか?」

と聞いてこられた。少しびっくりしたが、どういう意味があったのだろう?

 曽我川の小さい橋を渡り、突き当りを右折すると、すぐ終点の一町だった。バスは、停留所の前を右折したところで止まった。そこは公民館(?)が建っており、少し広くなっていた。私を降ろしたあと、ここで転回するのかと思ったがその様子はなく、エンジンを切ってしばらく時間調整をしていたようだった。

一町に到着したローザ
◆一町に到着したローザ


 あとから聞いた話では、バスは転回するのではなく、一方通行の形で、そのまま別ルートでぐるっと周り、西常門とへ向かうそうである。そのため、西常門のバス停ポールはは行きと帰りで違う場所に立っているのだとか。

 さらに以前は、一町からさらに南下して、壷阪山駅まで行っていたという。高田高取線の線名はそこから由来しているのだろう。鉄道の廃線敷ではないが、壷阪山行きが健在だったころの古い道路地図を見ながら、後日改めて廃バス(休止?)路線をたどってみようと思う。




 モーターリゼーションが進み、一家に車が必ずあるのが当たり前になっている。

 しかし、環境問題・高齢化社会を迎えるにあたり、公共交通をもっと大切にする政策をとらないと、後々大変なことになると思う。

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